ドワンゴを退職(転籍)しました

あけましておめでとうございます。2020 年 1 月 1 日付けで、株式会社ドワンゴとの雇用関係を終了し、株式会社 KADOKAWA Connected (KDX) に転籍することになりました。

昨年 4 月に KDX が立ち上がったとき、わたしのいた部署がまるごと KDX に移管され、その頃から出向という扱いになっていました。なので業務内容も勤務地もそのままで、あまり転職というイメージにはそぐわないのですが、わたしも退職エントリ書いてみたかったので書くことにしました。

やったこと

入社した頃は老朽化したニコニコのシステムを絶賛再構築するプロジェクトが走っていて、わたしもプッシュ通知・アカウント・課金などのシステムの開発に携わりました。これらは Scala で開発されていたのですが、入社当時は社内に Scala ガチ勢が少なく、手探りながらも熱心にコードを書いた思い出があります。次第に Scala ガチ勢も入社してきて、面白いライブラリやデザインパターンも生まれてきて (Fujitask とか mix-in injection とか) 、楽しくエンジニアリングをしていました。

業務上 OSS などもしたりしました。社内で gRPC の布教活動をするプロジェクトを立ち上げて、Scala binding を実装してもらうために @xuwei-k 先生のヘッドカウントをマネージャーにおねだりして ScalaPB に contribute してもらったりしました。gRPC は当時 (2015年頃) 社内で流行らせるには時期尚早だった感はあるものの、たぶんこれわたしが Scala 界隈にできた貢献の中では一番大きいのではって思っています(わたし自身は 1 行もコード書いてないけど)。

ドワンゴの面白いところは、採用する言語やフレームワークなどに対するかなり大きな裁量が開発チームに与えられているところです。社内で採用されていたコードレビューツールがどれもわたしの眼鏡に適うものでなかったので Gerrit を採用していた時期もありました。高い裁量は属人化とか統制されていないことと表裏一体なので一概に良いことだとは言えませんが、少なくともわたしにとってはやりがいのある環境であり、チームにも貢献できたと思っています。今はだいぶ統制に寄ってきているように思いますが、それはノウハウやインフラ系サービスの蓄積などによる合理的な理由のためで、採用する技術が不合理に制約されるようなことは今も起こってないように見えます。

2016 - 17 年頃からインフラ系のおしごとをするようになり......このへんの時期何やってたかあんまり覚えてないな。CDN をいじくり回したりして、けもフレ最終回の配信をどきどきしながら見守っていた記憶があります。インフラ系はあまり対外発表することがないのでここに書ける公開情報が少ないです。

2018 年は課金システムに戻り(アカウントとか課金とかは共通システム系なので、インフラ系とは部署が近かった)、2019 年はまたインフラ系に来て(インフラ系でも一定量のアプリエンジニアの需要があります)、そのまま KDX に吸い込まれて今に至ります。

競プロ活動

ドワンゴには同好会制度があり、業務に関係のない活動を行う会を設立できます(補助金とかも出ます)。競技プログラミング同好会を立ち上げて、4 年ぐらい?活動を続けています。最初は熱心に講義資料を作って蟻本読書会をやったり、Codeforces とかの過去問で練習会をやったりしていました。最近はなかなか時間が取れなくてメンバーに任せきりになってしまっているのですが、競プロ合宿が行われたりして楽しく活動しています。なお、同好会の設立基準には「会員の趣味、娯楽を通じて ... 福利厚生を図ることを目的とすること」とあるので、「プロ」に対して「趣味」と返さないと競プロ同好会は解散すると言われています。

あとは、毎年恒例となっているドワンゴプログラミングコンテストの準備にも携わっています。きっかけとしてはあるとき人事さんに呼び出され「採用でコンテストするから 1 問作って」ってカジュアルに振られた感じです。ひとりで作問しつつ社内から tester を募って細々とやっていたのですが、3 回目になって競プロ同好会から有志を集め、ジャッジチームを作りました。作問してコンテストを開き、競プロ勢を獲得してもっと作問するというのは、拡大再生産ゲーをやっているような気持ちです。第5回ドワコンではついに予選 (rated)・本戦の全問題を自前で作るまでに至り、感慨深いものがありました(そのぶん準備は大変だったんですが、実はこの時期に自作問題による部内コンテストが 5 回ぐらい開かれており、4問 ABC 級の難易度とはいえみんなどんだけ作問好きなんだっておもった)。

そういえば毎回ドワコン本戦の裏ではニコ生で実況を行っていて、第 5 回ドワコンではついにバーチャル生放送になりました。わたしも業務上バ美肉することになり、アバターも用意しました。せっかく作ったんだしバーチャル競プロ同好会会長として動画投稿とかしていくかって思って Twitter のアイコンと名前を変えたんですが、創作意欲が尽きて結局何もしていません。これどうしよう。。。

話は変わりますが第4回ドワコンの生放送のときに参加者からクソなぞなぞを投げつけられて、なるほど最近はこういうのが流行りなのかと思ってわたしも作問してみたんですが、結局披露する場所がなかったのでここに載せておきます。

問題:世界で最も絶滅の危機に瀕しているネコってなーんだ?

転籍にあたって同好会もドワコンもメンバーに引き継ぎましたが、ドワンゴプログラミングコンテスト第 6 回も開催予定です (予選 2020/01/11) ので皆様のご参加よろしくお願いします。

この他にもう一つ業務上競プロをやっていて、N高校コンピューター部の特別顧問を務めています。オンライン練習会で問題を解いたり、年 2 回ぐらい合宿を開いて勉強会をしたり、PCK などのオンサイトコンテストでは別室から応援の念波を飛ばしたりしています。わたしも高校時代から競プロに育てられてきた身なので、高校生に競プロを教える仕事を人生のどこかでしたいという気持ちがありました。とはいえ教員免許も持ってないし、高校生に関わる機会なんてそうそうないでしょ......って思っていたところに降ってきた話だったので、ありがたくお受けして楽しく活動しています。まぁ社会人になってから全然問題を解いてないので近年のレベルの上昇にはついていけてないのですが、それでも青程度の杵柄はあるのでなんとかなっています。

 

 

2013 年 8 月入社なので、かれこれ 6 年半ほど務めたことになります。これほど長く続くとは思ってなかった......入社した頃はたぶん 3, 4 年で次のところに行くんだろうなと思っていました。想定より長く続いた理由として一番大きいのはやはり競プロだろうと思っています。他に挙げるならなんども社内ジョブホッピングでき(平均して 4 ヶ月に 1 回ぐらいの頻度でプロジェクトを渡り歩いている)飽きなかったこと、年に一つぐらいは新しいスキルを身に着けられている実感があることがありますが、まぁ最近は社会性をすっかり失い、転職活動めんどくさいモードになっているというのもなくはないです。このエントリもなんかもうちょっといろいろ書こうと思っていたのですが、思ったより長くなったのでこのへんにしておきます。興味があったら直接捕まえて聞いてください。

なんにせよ KDX に移ったとはいえニコニコを裏で支える立場であることには変わらないので、みなさんもニコ動とかニコ生とかご贔屓にしてくれたら嬉しいです。よろしくお願いします。なお、次の退職エントリを書くときは銀座周辺の美味しいラーメン情報をお届けする予定です。